電子工作やってみたよ:昔のパソコン H68TR GAME言語他
2019-07-16T04:12:04+09:00
telmic-gunma
PICマイコンや回路シュミレータ、その他思った事を書いてみます。
Excite Blog
GAME68コンパイラ
http://telmic.exblog.jp/30174191/
2019-03-18T19:58:00+09:00
2019-07-16T04:12:04+09:00
2019-03-18T19:58:01+09:00
telmic-gunma
昔のパソコン H68TR GAME言語他
掲載されたのは、1981年5月号です。
当時 30歳 6800のマイコンをいじり出した時ですね。
いまさら こんなリストをだしても動作させられるハードなんて無いと思いますが、まあ歴史の勉強と思って見てください。
ASCII誌をスキャナーで読み取ったのですけれど、うまく読めるでしょうか。
この前 すがわらさんにヒントもらって 1画面の容量を500kByte以下になるようにしました。
エキサイトブログでは1画面500kByteより大きいと圧縮されてしまうようなので。
今回 自分で作った ソフトを見直して 唖然としました。
「プログラムリストにコメントが一つも書いてない。」
メモリー容量が小さくての1Byteがとても貴重な頃でしたからメモリーを一生懸命節約したのでしょうね。
いままでの人生でこのコンパイラを作っていた半年が一番幸せでした。
仕事やお金儲けなどとは関係なく、ただ「楽しい、ワクワクする、」それだけでやってましたね。
そして完成して出版社に送ったあと、本になって出版されるまでの待ち遠しかったこと。
なぜ この時はこんなに楽しかったのでしょうか。
今思うに 「若さ」も大きいでしょうが、「すべて自分の自由にやれた。」と言う事でしょうか。
ふつう 仕事で物を作るときは、自分の意に沿わないことを仕方なくやるということも多いと思いますが、この時はそんなことありませんでした。
だれからの指示もなくまったく自由に好き勝手にできるなんてほとんどないですものね。
これからも、同じように自由に好き勝手なこと、やっていきたいです。
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以前ブログでこのコンパイラを作った経緯など書いてあったので、ここにコピーして見ます。
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「そのころ会社の電子工作大好き人間の先輩が ”面白いものがある”と言ってH68TR用のGAME言語のカセットテープをくれました。
これでGAME病に感染してしまいました。 ASCII誌を見ると6800オリジナルは大西さんが作りそれが6502(アップルⅡ)や8080に移植され さらにコンパイラも動いているということでした。6800用のコンパイラはまだ誰も作っていませんでした。
最初のGAMEコンパイラは8080用を中島聡さん(Win95,Win98の開発チーフをやった人)が高校生の時に作ったそうです。やはりすごい人は若いときからすごいのですね。(ということを今回調べていて知りました)
アッセンブラでのソフト作りにほとほと嫌気が差していた私は、”これは使える”と考えて6502と8080のコンパイラのソースを調べて6800用のコンパイラを作り始めました。 ROM化することを前提にしていたので掛け算などの基本演算ルーチンはインタープリタとは独立してリロケータブルな形で作りました。 外部メモリーはオーデオカセットを使いモニターには画面がチラチラする白黒テレビを使っていました。毎日会社から帰るとカセットテープからGAMEインタープリタと前日までに作ったコンパイラを20分位かけて読み込んで作業が始まりました。ソフトが暴走して壊れるとまた時間をかけて最初の読み込みからの繰り返しです。 こんなこと繰り返して完成までに半年程かかりました。 ASCIIの編集部にテープを送ったあと掲載してもらうまで、この時ほどワクワクしていたことは今でも有りません。 掲載されたASCII誌 今見たら 1981年5月号 定価500円となっていました。 ウワー 30年以上昔だ。
GAMEのカセットをくれた電子工作大好き人間の先輩をネットで検索したら、今でもアマチュア無線やブログなど現役バリバリでやってました。もう70歳は、はるかに超えたはずなのに 見習わなくちゃ。 この人 CQ誌やトラ技によく投稿してました。
肝心の"H68TR"ですが 30年もたったせいか最初は動作しなかったのですがコネクタやスイッチの接点など磨いたら動くようになりました。 まだ読み書きできないメモリもあるのですが おいおい整備していきます。
GAME68のコンパイラを作った以後ですがソフトの仕事は圧倒的に楽になりました。パソコン上のBASICでソフトを作る感覚でやってOKならばコンパイルして動作確認をしてそれをROMに焼けば終わり。 CPUボードはH68TRとメモリーマップを合せてあるのでそのまま動きました。 またGAMEは治具などちょっとした使い捨てソフトを作るのが楽でした。アッセンブラやリロケータ,逆アッセンブラなどみなこれで作って使いました。メモリーサイズが一番大きなものでは 板金用のNCコントローラを作りましたが、さすがこのときはONメモリーだけではコンパイルできなくてRAMデスクを作ってそこからソースを流し込むようにしました。 これなども自作したコンパイラだからすぐ対応できたのでしょうね。 また お遊びで頑張ってみちゃおうかな。*******************************************************************
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道ばたに咲いていた小さな花。
花の直径 1cmくらいです。 いま 他に咲いている花はまったくないですね。
いつもとちがう所で撮影した武尊山です。
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SONY SMC777 発掘_4 石取りゲーム
http://telmic.exblog.jp/29358376/
2018-03-08T21:35:00+09:00
2018-03-08T21:39:21+09:00
2018-03-08T21:35:47+09:00
telmic-gunma
昔のパソコン H68TR GAME言語他
3.5インチのドライブが悪いのか、ディスクが悪いのかはまだわかりません。
とりあえずは、なにかプログラムを組んでソフトは動くのか、他に問題はないのかを見てみます。
ソニーBASICで「石取りゲーム」を作って見ました。
ちょうど モニター画面 1枚分におさまりました。
フロッピー以外の動作は正常でしたので、CPUやメモリーはOKということですね。
ウインドーズになれてしまうと、この時代の1行40文字、半角のみは猛烈に辛いですね。
それに MS-DOSの操作でさえ怪しいのに CPM80の操作なんて全く覚えていません。
モニター画面では見にくいので見やすくしてみました。
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50 ISHIZAN=15
100 PRINT "イシノ ノコリ=" ; ISHIZANN
110 PRINT "アナタノ バンデス 1-3"
120 INPUT HITO
130 ISHIZANN = ISHIZAN - HITO
150 PRINT "イシノ ノコリ=" ; ISHIZAN
200 IF ISHIZAN < 2 THEN PRINT "アナタノ カチ" ; GOTO 500
260 PRINT ISHIZANN ; "コンピュータ ノバン"
300 AMARI = ISHIZAN - (4*INT(ISHIZAN/4))
310 PRINT "アマリ=" ; AMARI
320 IF AMARI=0 THEN HIKU=3:GOTO400
330 IF AMARI=1 THEN HIKU=1:GOTO400
340 IF AMARI=2 THEN HIKU=1:GOTO400
350 IF AMARI=3 THEN HIKU=2:GOTO400
380 PRINT"380 error ":STOP
390'
400 PRINT "コンピュータ ノ トッタイシ=";HIKU
410 ISHIZAN=ISHIZAN-HIKU
430 IF ISHIZAN < 2 THEN PRINT "コンピュータ ノ カチ":GOTO 500
450 GOTO 100
500 PRINT "ゲーム シュウリョウ シマシタ":STOP
これで終わりです。
以前に作った 石取りゲームの手順を考えたときのメモです。
これが有ってよかったです。
基本の計算手順は、現在の残数を4で割ったときの余りを出して、(0~3) その余りに対応する数値に変換します。
その変換したものを、現在の残数から引きます。
(メモ1)
手順 ( メモ2 )
その後の福寿草です。
この日は寒かったせいか、花の数は増えたようですが小さくなったように感じますね。
もう 終わりに近づいているのでしょうか。
とにかく フロッピーのドライブとディスクを直さないことには、この先遊びにくいですね。
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SONY SMC777 発掘_3 何とか動いた
http://telmic.exblog.jp/29327257/
2018-02-21T22:27:00+09:00
2018-02-21T22:33:35+09:00
2018-02-21T22:27:14+09:00
telmic-gunma
昔のパソコン H68TR GAME言語他
もっとも手こずったのは、3.5インチのデスクドライブ。
メカが固まってフロッピーが正常にセットされずデータが読み込めませんでした。
SMC777のROMはIPL用のものが少し載っているだけで、OSやBASICはフロッピーからRAMに読み込んで動作するようになっています。
当時の8bitパソコンは(PC8001,FM7など)フロッピードライブが高価であるため基本はROMにBASICが書いてありそれで動作していました。
そういう意味ではSMC777は時代の先端を行ってたのですが、逆にフロッピードライブが正常でないと全く動作しません。
今回 電気回路は正常であったため、電源をONするとモニター画面には、「フロッピーディスクを入れろ」と表示されてきました。
しかし、フロッピーをどう入れ替えても動作しません。
結局フロッピードライブを外していろいろ調べたら、フロッピーの磁気面を保護するシャッターが開いていません。
複雑なメカのあちこちに潤滑剤の「クレ556」を付けてガシャガシャいじってみました。
そうしたら、メカはやっとそれらしく動きシャッターも開くようになりました。
この「クレ556」すごいですね。
鍵や自転車など金属の動くところ、いつもお世話になりますが、期待通りに働いてくれます。
これで電源をONにしたら無事フロッピーを読み込んでくれるようになりました。
動作確認をしたところ、数値キーやアルファベットキーは正常に動作していました。
ただ 右のフロッピーの手前にある上下左右のキーパッドを受け付けてくれません。
これが動かないと、SONYファイラー(CP/MをSONY用に修正したもの)を操作できないので次回のブログまでに直してみます。
3.5インチ フロッピードライブを外したところ。
フロッピードライブが動作しないときのモニター画面
フロッピーが動作して SONYファイラーが動作した時の画面
雪の下になった花はその後どうなったのか見にいきました。
小さくしぼんでいたにも関わらず全部が前よりも大きく元気になったように見えます。
こんなように生きていきたいですね。
雪の下にあった期間がもっと長ければどうなるのでしょうか。
気になります。
一番奥の雪を被ったのが武尊山です。「ほたかさん」と読みます。
頂上付近に「川場スキー場」があります。
怖くて一度も滑ったことがありません。
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SONY SMC777 発掘してきた _2
http://telmic.exblog.jp/29323988/
2018-02-20T09:22:00+09:00
2018-02-20T09:22:39+09:00
2018-02-20T09:22:39+09:00
telmic-gunma
昔のパソコン H68TR GAME言語他
ウインドーズ用のキーボードで、同じようなのないかな?
上のカバーを外したところです。
キーボードの基板を避けたところです。
CPUボードのところを拡大しました。 まだTTL(LSタイプ)がほとんどです。
今では、これの何万倍の能力あるものが、手のひらに乗る時代なんですよね。
まだ35年しかたっていないのに。 このあと35年したらどうなるのでしょうか。
このパソコン結局 まだ通電はしてないのですよ。
探してきた SMC777 関連のマニュアルや本、 松田聖子ちゃんが表紙に載った本があったはずなんだけど見つからず。
SMC777 動作したらこのテーマは続きますが、動かなかったら今後ありません。 あしからず。
雪が積もっていて場所が分からなかった「福寿草」?を掘り出してみました。
花はつぼんでいますが元気そう。
また見にいってみます。 家から1kmほど離れているので歩いて見に行くのちょっとたいへん。
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SONY SMC777 発掘してきた
http://telmic.exblog.jp/29313039/
2018-02-17T21:02:00+09:00
2018-02-20T09:44:31+09:00
2018-02-17T21:02:04+09:00
telmic-gunma
昔のパソコン H68TR GAME言語他
(ほこりの中に埋まっていましたから)
調べたら もう35年も昔のものなのですね。
ほこりをものすごく被っており掃除してやっとここまで綺麗にしました。
内部はまだ掃除してないので、怖くて電源は入れてません。
当時 子供の勉強に役立たせたいと思って算数のゲームなどを作ってました。
この頃は、多くのメーカーが8ビットパソコンを作っていましたね。
NEC、シャープ、富士通、エプソン、東芝に吸収されたソード、そしてSONY
それなりに各社個性が有りましたが、やはりSONYが飛びぬけて個性のかたまりでした。
この頃のSONYは、すべてにおいて輝いていたと思います。
このSMC777にも使われている3.5インチフロッピーを開発して世界標準にしたり、
ダントツに綺麗な画面を誇るトリニトロンカラーテレビを作ったりしていましたね。
SMC777の仕様
CPU Z80
OS CP/M (マイクロソフトのウインドーズに相当 ROMのBASICは無し)
主メモリ 64K byte 最初からフルサイズ入っているの他社には無かったと思います。
ビデオラム Z80のI/O空間を使って 32K byte (主メモリには影響を与えない)
画面解像度 320×200 ドット 16色
640×200 ドット 4色
カラーパレットを付けて4096色から選べる
デスクドライブ 1DD 3.5インチ 280K byte
キーボードの和文文字の配列が、左上から右に向かって「アイウエオ」順になっています。
私のように、和文キーボードが使えない人にとっては、優しい作りと思います。
標準でSONY独自のBASICが付いており、たしか演算はBCD14桁で精度が良いのをうたい文句にしていたと思います。
これ用のソフトもSONYから各種出されていました。
その中で「 FORTH言語 」を買っておいたのですが、結局一度も使っていません。
SMC777が動作したら、ぜひ FORTH をいじってみたいですね。
動作しなかったらもうブログに出てくることも無いでしょう。
散歩している時、道端に咲いていたので撮りました。
毎日 強烈な寒い日が続いているのに、どうしてこんなにきれいな花が咲くの?
名前は「福寿草」だと思います?
今日 2月17日の夜 雪が降り始めたけど、大丈夫かな。 明日見に行ってみよう。
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H68TRとGAME言語
http://telmic.exblog.jp/22792817/
2014-10-13T17:54:00+09:00
2016-10-14T10:13:50+09:00
2014-10-13T17:54:40+09:00
telmic-gunma
H68TR GAME言語
日立が出した6800CPUのトレーニングキットです.
左から モニタ ティアック デジタルカセットMT2 H68カードケージ
H68TR CPUボード と フルキー電卓型コンソール
左 メモリーボード 右 ビデオRAMボード
ようやく8ビットのマイコンが世の中に出始めのころ、NECはインテル8080を使ったTK-80というトレーニングキットを出しました。
もちろん即買いましたよ。ところがこのTK-80の勉強を始めて1週間目ぐらいのとき ”我が社はモトローラの6800を使用する”という天の声が降りてきて”アチャー”となりました。 そんなこんなで6800を使って製品のモデルチェンジが始まりました。
世の中でよく言われている言葉で”必要な人や物は必要なときに合わせてやってくる”というのが在ったと思いますが このときもまさしくその通りで、東京国立にある日立中央研究所を定年?になったという方が顧問ということでやってきました。結局その人と一緒にというよりその人に"おんぶにだっこ状態"で半年かかって製品が完成しました。3ヶ月くらいでだいたい仕様を満足するものは完成したのですがハードでのROMの容量は4kByteしかないのに作ったソフトは7kByteの大きさになってしまいました。今の1チップCPUより小さなサイズですね。 そんなわけで ソフト作りの残りあとの3ヶ月は、ひたすらプログラムサイズを小さくすることをやってました。このときが一番勉強になった気がします。まだフロピーは無く紙テープの時代でした。
そのころ会社の電子工作大好き人間の先輩が ”面白いものがある”と言ってH68TR用のGAME言語のカセットテープをくれました。これでGAME病に感染してしまいました。 ASCII誌を見ると6800オリジナルは大西さんが作りそれが6502(アップルⅡ)や8080に移植され さらにコンパイラも動いているということでした。6800用のコンパイラはまだ誰も作っていませんでした。
最初のGAMEコンパイラは8080用を中島聡さん(Win95,Win98の開発チーフをやった人)が高校生の時に作ったそうです。やはりすごい人は若いときからすごいのですね。(ということを今回調べていて知りました)
アッセンブラでのソフト作りにほとほと嫌気が差していた私は、”これは使える”と考えて6502と8080のコンパイラのソースを調べて6800用のコンパイラを作り始めました。 ROM化することを前提にしていたので掛け算などの基本演算ルーチンはインタープリタとは独立してリロケータブルな形で作りました。 外部メモリーはオーデオカセットを使いモニターには画面がチラチラする白黒テレビを使っていました。毎日会社から帰るとカセットテープからGAMEインタープリタと前日までに作ったコンパイラを20分位かけて読み込んで作業が始まりました。ソフトが暴走して壊れるとまた時間をかけて最初の読み込みからの繰り返しです。 こんなこと繰り返して完成までに半年程かかりました。 ASCIIの編集部にテープを送ったあと掲載してもらうまで、この時ほどワクワクしていたことは今でも有りません。 掲載されたASCII誌 今見たら 1981年5月号 定価500円となっていました。 ウワー 30年以上昔だ。
GAMEのカセットをくれた電子工作大好き人間の先輩をネットで検索したら、今でもアマチュア無線やブログなど現役バリバリでやってました。もう70歳は、はるかに超えたはずなのに 見習わなくちゃ。 この人 CQ誌やトラ技によく投稿してました。肝心の"H68TR"ですが 30年もたったせいか最初は動作しなかったのですがコネクタやスイッチの接点など磨いたら動くようになりました。 まだ読み書きできないメモリもあるのですが おいおい整備していきます。
GAME68のコンパイラを作った以後ですがソフトの仕事は圧倒的に楽になりました。パソコン上のBASICでソフトを作る感覚でやってOKならばコンパイルして動作確認をしてそれをROMに焼けば終わり。 CPUボードはH68TRとメモリーマップを合せてあるのでそのまま動きました。 またGAMEは治具などちょっとした使い捨てソフトを作るのが楽でした。アッセンブラやリロケータ,逆アッセンブラなどみなこれで作って使いました。メモリーサイズが一番大きなものでは 板金用のNCコントローラを作りましたが、さすがこのときはONメモリーだけではコンパイルできなくてRAMデスクを作ってそこからソースを流し込むようにしました。 これなども自作したコンパイラだからすぐ対応できたのでしょうね。 また お遊びで頑張ってみちゃおうかな。
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